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「時代」(2017) 

 商店街と芹川の間に位置する河原2丁目(通称袋町)は、明治9年より遊郭として栄えた歓楽街である。昭和初期には貸座敷65軒、娼妓約80人、芸子約100人、舞妓約20人が働いていたと言われており、全国有数の繁華街であった。売春禁止法の施行により遊郭が廃止された後も、袋町はかつての町家をそのままに、スナック街として今日まで息づいている。        

 時代と共に人や店が移りゆく一方で、小橘(こきつ)さんは、遊郭だった袋町を知る、現存する数少ない元芸子さんの一人である。彼女は芸子を終えた後、同じく袋町にスナック「小橘」を構え、昭和61年から今日までお店に立ち続けている。

 この作品はインタビューや資料調査を通して、小橘さんの芸子時代から今日に至るまでの半生を追いながら、彼女の「いい時代」を振り返り、当時の社会的背景、芸子やスナックにおける人情深い繋がり、人と人との関係性を読み解く。    

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​こきつさんは元芸妓のあばあさん。

昭和四七年、一六歳の小橘さんは芸子さんになるために故郷の敦賀から彦根にやってきた。

戦争が終わり、なにか好きなことをして生きよう、大好きな三味線や踊りををしようと芸子さんの道を選んだ。翌年昭和四八年数え年で十八の年に、小橘さんは初めてお座敷入りをした。小橘さんは料亭小島お抱えの芸妓さんで、小島さんのおばあさんにはよくお世話をしてもらい親子のように親しんでいた。

 

小橘さんが芸妓として仕事をしていた当時彦根は、地場産業が盛んで景気も良く彦根の芸子が一番賑やかな時代だった。

 

​小橘という名前は、お客さんだった井伊市長から頂いたものだ。昭和六十年に芸子を辞めてスナックを始めることになった時、小橘さんは「小橘」をお店の名前にするかどうか迷ったという。井伊さんに頂いた大切な名前だったからだ。小橘さんがお役所の知人に相談したところ、おまはんがもろた名前やから、と後押しをしてくれた。

こじまさんは料亭小島のむすこさん。

今は家業を引き継いで店長として料亭の経営をしている。

こきつさんには幼いころからお世話をしてもらっていた。

こきつさんは「料亭小島」の抱える芸妓さんだったのだ。

小島のおばあさんのことを、こきつさんは「お母さん」と呼んで慕っていたそうだ。小島さんにとって、こきつさんはどこか神秘的で、芸事も上手で、お世話をしてくれる、美人なお姉さんだった。よく自転車の荷台に乗せてもらったそうだ。こきつさんは、こじまさんのことを今も「せいちゃん」と呼んでいる。

 

こじまさんは「料亭小島」にまつわる古いアルバムを持ってきてくれ、若いころの、芸妓さんだったころのこきつさんを見せてくれた。

そこにはこきつさんの写真だけではなく、たくさんのほかの芸妓さんやお客さん、昔の彦根の社交界の様子が記録されていた。

「料亭小島」の玄関の暖簾の家紋が、「小橘」の暖簾の家紋と同じだった。こきつさんが、どうやら芸妓をやめスナック「小橘」を開くときに、「料亭小島」の家紋を引き継がせてもらったらしい。

このインタビューを通じて、ふたりは久しぶりに再会したそうだ。

二つの同じ紋の入った暖簾、その間に佇んでいる二人の歴史。

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