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北海道でのアート・リサーチ(https://ws2016.tenjinyamastudio.jp/)を川切りに、

2016年以降はアイデアに合わせた表現を求め、絵画のみならず映像やインスタレーション作品を手掛けるようになる。

作者は自分の作品を「客観的自己評価」と定義し、他者の記憶と体験を追跡・分析し、

作品を通してそれらを提示する事で、その客観性とは裏腹の、作者の個人的なまなざしを発見する。

それは個人単位のマイノリティな出来事から出発しながら、社会全体に蔓延する問題に対する問いかけでもある。

近年は作者と繋がりの深いロシア共和国を自身のアイデンティティの一つとし、諸民族や伝統文化を再考する

​作品を手掛けている。

Noriko Yamamoto took part in workshop"Art &Research" (https://ws2016.tenjinyamastudio.jp/)in 2016, and with this as the start, she begins making video works and installations in addition to paintings, for representation corresponding to new ideas. She sees outside and more extensive world, and sometimes from points of view of others, and then she knows and represents her identity and difference between her and others.

she was sometimes influenced by poetry, which was created by Japanese famous poet Kenji Miyazawa, and creates art works from these inspirations or resear

「宗谷挽歌」(2016) 

この映像は2016年北海道で行われた「アートとリサーチ」のワークショップの中で作られたものである。

「宗谷挽歌」とは宮沢賢治の詩作品の一つであり、賢治の故郷岩手からサハリンへ向かう旅路の過程で書かれた「心象スケッチ」である。賢治の旅の目的は、教え子の就職斡旋の為のサハリン工場訪問とされているが、実際は、彼の死した妹の魂の行方を北の地で捜すことだった。

このパフォーマンスでは、宮沢賢治という他人の旅の軌跡をトレースしながら、賢治が詩という方法で風景と心象をスケッチしたように、ドローイングによって自身の目で見た風景をスケッチしている。しかし、他者と自分は完全な同一とはならず、模倣はオリジナルと自分自身と対称化させることにもなる。

この作品では賢治の視点を通して、人間の普遍的な感情――喪失感、孤独、それによる北への希求、生と死への葛藤――と向き合っている。

this movie was created in workshop"Art&Research". "Elegy in Soya"--it is name of poem by Kenji Miyazawa, which was written on the way to his trip to Sakhalin. The purpose of his trip to the north, it is that searching for his dead sister's soul. 

Why people hopes go to the trip, when he lost something important? 

Noriko Yamamoto tried to trace his path, and thought about death and live, and hope of people.  

宗谷挽歌(1923.8.2)

 

こんな誰も居ない夜の甲板で

(雨さへ少し降ってゐるし,)

海峡を越えて行かうとしたら,(漆黒の闇のうつくしさ。)

私が波に落ち或ひは空に捧げられることがないだろうか。

それはないやうな因果連鎖になってゐる。

けれどももしとし子が夜過ぎて

どこからか私を呼んだなら

私はもちろん落ちて行く。

とし子が私を呼ぶということはない

呼ぶ必要のないところに居る。

もしそれがさうでなかったら

(あんなひかる立派なひだのある

紫いろのうすものを着て

まっすぐにのぼって行ったのに。)

もしそれがさうでなかったら

どうして私が一緒に行ってやらないだろう。

船員たちの黒い影は

水と小さな船燈との

微光の光を往来して

現に誰かは上甲板にのぼって行った。

船は間もなく出るだろう。

稚内の電燈は一列にとまり

その灯の影は水にうつらない。

  潮風と切りにしめった に

  その影は年老ったしっかりした船員だ。

  私をあやしんで立ってゐる。

ばしゃばしゃ降って来る。

帆網の小さな電燈がいま移転し

怪しくも点ぜられたその首燈,

実にいちめん霧がばしゃばしゃ降ってゐる。

降ってゐるよりは湧いて昇ってゐる。

あかしがつくる青の光の棒を

超絶顕微鏡の下の微粒子のやうに

どんどんどんどん流れてゐる。

(根室の海温と金華山沖の海温

  大正二年の曲線と大へんよく似てゐます。)

 帆網の影はぬれたデックに落ち

 津軽海峡のときと同じどらがいま鳴り出す。

 下の船室の前の廊下を通り

 上手に銅鐸は擦られてゐる。

  鉛筆がずゐぶん早く

  小刀をあてない前に削げた。

  頑丈さうな赤髭の男がやって来て

  私の横に立ちその影のために   

私の鉛筆の心はうまく折れた。

  こんな鉛筆はやめてしまへ

  海は投げることだけは遠慮して   

黄いろのポケットにしまってしまへ。

 霧がいっさうしげくなり

 私の首すぢはぬれる。

 浅黄服の若い海員がたのしさうに走って来る。

 「雨が降って来たな。」

 「イ、ス。」

 「イ、スて何だ。」

 「雨ふりだ,雨が降って来たよ。」

 「瓦 だよ,霧だよ,これは。」

とし子,ほんたうに私の考へてゐる通り

おまへがいま自分のことを苦にしないで行けるやうな

そんなしあはせがなくて

従って私たちの行かうとするみちが

ほんたうのものでないならば

あらんかぎり大きな勇気を出し

私の見えないちがった空間で

おまへを包むさまざまな障害を

衝きやぶって来て私に知らせてくれ。

われわれが信じわれわれの行かうとするみちが

もしまちがひであったなら

究 の幸福にいたらないなら

いままっすぐにやって来て

私にそれを知らせて呉れ。

みんなほんたうの幸福を求めてなら

私たちはこのままこのまっくらな

海に封ぜられても悔いてはいけない。

 (おまへがここへ来ないのは

  タンタジールの扉のためか,

  それは私とおまへを嘲笑するだらう。)

呼子は船底の方で鳴り

上甲板でそれに応へる。

それは汽船の礼儀だらうか。

霧はいまいよいよしげく

舷燈の青い光の中を

どんなにきれいに降ることか。

稚内のまちの灯は移動をはじめ

たしかに船は進み出す。

この空は廣重のぼかしのうす墨のそら

波はゆらぎ汽笛は深くも深くも吠える。

この男は船長ではないのだらうか。

 (私を自殺者と思ってゐるのか。

  私が自殺者でないことは

  次の点からすぐわかる。

  第一自殺をするものが

  霧の降るのをいやがって

  青い巾などを被ってゐるか。

  第二に自殺をするものが

  二本も注意深く鉛筆を削り

  そんなあやしんで近寄るものを

  霧の中でしらしら笑ってゐるか。)

ホイッスラアの夜の空の中に

正しく張り渡されるこの麻の網は

美しくもまた高尚です。

あちこち電燈はだんだん消され

船員たちはこころもちよく帰って来る。

稚内のまちの北のはづれ

私はまっ正面で海から一つの光が湧き

またすぐ消える,鳴れ汽笛鳴れ。

火はまた燃える。

「あすこに見えるのは燈台ですか。」

「さうですね。」

またさっきの男がやって来た。

私は却ってこの人に物を云って置いた方がいい。

「あすこに見えるのは燈台ですか。」

「いいえ,あれは発火信号です。」

「さうですか。」

「うしろの方には軍艦も居ますがね,

 あちこち挨拶して出るとこです。」

「あんなに始終つけて置かないのは,

 

この間原稿数枚なし

 

永久におまへたちは地を這ふがいい。

さあ,海と陰湿の夜のそらとの鬼神たち

私は試みを受けやう。

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